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Monologue
加藤純子


小さなころから、空気の読める子どもで、さらには、その先を読むのがうまい子どもだった。

「この人は今こんなことを考えているだろう。だからきっと次はこれが必要になるだろう」と、そんな先回りをして準備をしてあげる。傍から見ると不思議なのだが、本人としては当たり前な感覚で、

「なんでわかったの?」

と聞かれることもしばし。でも、なんでと言われても、そういうものだった。


小学校の頃から、先生が授業の準備をするのを手伝ったり。

また、父のすすめで家族で入信したキリスト教カトリック教会で、神父さんの手伝いをして仲良くなった。
当時、母は教会の中にある喫茶店で働いていた。

父は板金業を営んでいたらしい。しかし物心ついたときには平日も土日も関係なく家にいるようになっていた。酒とたばこ。働かない。
でも、彼女には優しい父だった。

もしかしたら、もうこのころから体調を崩していて、思うように働けなくなっていたのかもしれない、と今になって思う。背は高かったが、子どもから見てもひょろりと細い人だった。

姉は二人いたが10以上離れていて、二人とも早々に家を出ていった。末っ子、だけれど大人の社会の中で一人っ子のような長女のような。そんな環境で育った。


だから、小さなころから大人びていたのかもしれない。

週末はカトリック教会の日曜学校に家族で行く。

その時間が好きだった。


何をしていたというわけでもない。神父さんの話を聞きながら、それに関連することだったり、はたまた全然関係ないことだったり、とにかく何かをずっと考えたり妄想したりしていた。

姉に子どもが産まれてからは、ベビールームで赤ん坊をあやしながら説教を聞いていた。

まわりを気にしなくていい静謐な時間。
ひとりの時間。

今にして思えば、宝物の時間だった。

そんな週末を過ごしていたものだから、同じ学校の子たちみんなが入っていた地域の子ども会には入っていなかった。

だから地域の集まりには一緒に遊びに行けなかった。それもあってか、子どもと遊ぶよりも、大人の中で過ごす時間が多かった。


中学校に上がると、他の地域からも進学してくる。当然、小学校の時よりも同級生が増えた。

小学校は一学年1クラスだけだったが、中学は3クラス。

その人の多さに圧倒された。
たくさん人がいる。
なんでこんなに人がいるんだろう。

小学校と中学校とでは、こんなにちがうんだ。
そんなことを思ったかどうか。
いつの間にか、一度にたくさんの人と交わるのが苦手になっていた。

目立つのも嫌になった。

部活も、小学校の時は部長にまでなったバスケ部は、ボールのサイズもゴールの高さも変わってしまって、とても太刀打ちできないと思った。

心機一転、バレー部に入ってみたものの、結局馴染めずすぐにやめてしまった。

毎週末行っていた教会にも、母が喫茶店の仕事をやめ前職の看護師に戻ったこともあってか、いつの間にか行かなくなった。
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その頃の彼女の日課は、帰ってからのやることリストを作ることだ。家に帰って、まずトイレにこもる。

そして、今日やらなきゃいけないこと・やりたいことをすべて頭の中で整理して、手帳に書き出す。

宿題・料理・それから見たいテレビ・やりたいこと。

相変わらず、家計の大黒柱は母だった。
夜勤もしていたから、夕ご飯を作るのは中学のときから自分だった。

だから、料理の時間までに、やることは全部やる。計画がうまくいくのが快感だった。



そんな中、はまったのがアイドルだった。

SMAPのデビュー最初のコンサートに行った。当時はまだ鳴かず飛ばずで、チケットが余っていた。それをたまたま貰って、スカスカのレインボーホールで見てからずっと好きでいる。

彼らには夢がある。それに向かってひたむきに進んでいる。
かっこいい。

小遣いをためてはコンサートに行き、グッズを集めた。


ある日、お年玉を父にすべて使われて失くされたことがある。

当然、大泣きした。


家を早く出て自立したい。できれば、早く結婚して、「若いお母さん」になりたい。いつも家にいて、子どもたちに愛情いっぱいのおやつを出してあげる。「昭和のお母さん」になるのが夢だった。

自分が高齢出産で生まれた子どもだったからというのもあってか、母がいつも家にいない生活をしていたからか、いつかそんなことを思うようになった。
だから、高校は普通科ではなく、「生活文化科」を選んだ。

普通科目の他に、家政・被服・調理科目をそれぞれ学ぶ。


夢はお嫁さん。
だから、花嫁修業のつもりでもあった。

さらにコースが分岐する2年生には被服コースを選んだ。

料理はもう毎日家でしている。
それ以外で選びたかった。


高校時代はとにかくアルバイトに明け暮れた。
お金を貯めて自動車学校に通うためだった。

とはいえ、当時高校生でもアルバイト可だった近所のスーパーは夜7時にはお店が閉まってしまう。

1日2時間しか働けなかったから、お金はあまり貯まらなかった。だから、連日仕事に行くことになる。

毎日をアルバイトに追われる生活だったからか、友達と遊ぶというのも少ないし、同年代の男の子とも話が合わなかった。

当時付き合っていたのは大学生で、2年間付き合って後に別れた。

すると不思議なもので、3歳年上の男性が他店舗から異動してきた。

紆余曲折、高校を卒業して2年目の2000年。その男性と結婚する。今の夫である。

実は、卒業後すぐに妊娠が分かった。
ただ、はじめてのことで勝手が分からず、病院に行くのが遅かったせいか、ある日出血があり、流産した。

父の状態もあまりよくなかった。
歩くのもおっくうらしく、あまり家からも出なくなっていた。

そんな中、姉に4人目のこどもが生まれた。
珍しく「見に行きたい」と言った父を車に乗せて、姉の家に遊びに行った。

父を家に送り、自分はそのまま子守として泊まりこむことになった。

家には父母2人きり。
喧嘩をする時は物を投げ合うような激しい夫婦喧嘩を繰り広げていた2人だが、その日は夫婦水入らずの夜を過ごしたらしい。

翌朝、母がご飯の用意をしていると、いつもの時間を過ぎても父は起きてこなかった。



61歳だった。


幼少期からお世話になっていた教会で、しめやかに式は行われた。

気が張っていたのだろう。

お葬式が終わって、すべてが終わってから、一晩中泣いた。

高校の3年間は反抗期だった。
話をろくにしなかった。

やさしい人だったから、そんな娘を見てもさみしそうにするだけだった。

妊娠して、でも流産して、子どもを見せられなかった。

これから親孝行ができると思っていたのに。




亡くなってしばらくして、お世話になっていた教会の神父さんから、彼がたびたびひとりで教会に行っていたと教えてもらった。


足も悪いから、出歩くことも一苦労だっただろう。

ミサや日曜学校などの時間の決まった催しではなく、ふらっと自分のタイミングで行っては教会の椅子に座っていたらしい。

だからきっと、家で苦しまずに逝けたのだと思う。





卒業一年目はそうしてバタバタと過ぎていった。

当時付き合っていた彼も、お金を貯めるのが苦手な人だったから、結婚式を挙げるための費用を一緒に貯めるところからスタートだった。

それから約一年。

成人式の前に彼の両親に挨拶に行き、その後妊娠が分かった。

本当は結婚式で和装をするのが夢だったが、妊娠8か月での花嫁となり、それは夢のまま終わった。身内だけの小さな式を挙げ、そして21歳で出産。

念願の「若いお母さん」になった。
結局、29歳までに3人の子を無事出産し、育てた。

二人目が小学生に上がって、小学校のPTA主催のママさんバレーに入った。

母が歳を理由に仕事をやめると、夫は一軒家の購入を決意し、市営住宅から引っ越して同居が始まった。

子どもたちを母に頼んで、夜も働きに出ることができる。

その頃から、少しずつ自分の自由になる時間が出来てきた。

高校生のときに目標にしていた「若い昭和のお母さん」になる願いは無事に叶えた。
子どもが帰るといつもおやつを作って待っている、そんな子どもを中心にする人生も楽しかった。

ただ、子育ての終わりが見えてくると、だんだんと毎日が単調になっていった。淡々と日々が流れていく毎日に、飽きてきたのかもしれない。


ある日、近所のママ友たちが集まる会で出会ったお友達のさらに知り合いが、「九星気学の勉強会」をするという。

持ち回りでイベントなどをしていたから、それじゃあ付き合いで、とあまり興味もないままそのイベントに参加した。

日々の単調さにうっすらした物足りなさを感じていたからか、参加した友人が日々を楽しそうに変化させているのを見たからか。

まだ言葉にはならないけれど、自分も何かしたいという気持ちが湧いてきたのだと思う。



半信半疑ながら、2018年、九星気学に従って「吉方位取り」なるものを実行することにしたのだ。

いわく、その日の自分に合った方角に行って、その土地の火と水を摂取すればいいらしい。

毎回カフェを探してコーヒーを飲むのは大変だしそれなりに時間と出費もかかる。

ところが、電気で熱を作って温めたり冷やしたりしているから、自販機やコンビニの飲み物は火も水もクリアになるとのこと。

それを「吉貯金」と呼ぶそうだ。


それならば、夕方の仕事に出る前に少しだけ余分にドライブをして、自販機かコンビニに寄ってジュースを一本買うだけで済む。

その日の自分の吉方位も、スマートフォンを見ればすぐに分かるから、難しい計算もいらない。
すこしのガソリンと100円玉2枚あればお釣りがくる。

車を運転するのは好きだったし、いつもの道以外を走るのもなんだかワクワクする。

コンビニならスマートフォンの地図アプリですぐに道順も教えてくれる。途中で飽きるかもしれない…とは思いつつも、それで運気が溜まるならばと、とにかくやってみることにしたのだった。

手軽さゆえか、不思議と吉方位取りは続けることができた。


だからといって、宝くじに当たるとか具体的な幸運があったかというとそうでもない。

ただ、吉貯金を欠かさず毎日続けられている自分に、何かが満たされているような気がした。

これを続けたら、もっとよくなる気がする。

「私は大丈夫」

不思議とそんな確信が心に少しずつ溜まっていく感覚があった。
吉貯金を皮切りに、だんだんと講座やセッションなど、気になることが増えていった。

占いやチャネリング、カードリーディングなどのスピリチュアルなものも、見えない運気や吉方位が実際にあるのならば、あってもおかしくないだろうと思うようになった。

気になるならば行ってみたらいい。

子どもたちも小学生を過ぎて、自分の時間を選べるようになった。

以前はあえて選択しなかったのだけれど、「若いお母さん」に代わる次の目標を探していたタイミングで、渡りに船だったのだ。

そして、ちょうどSNSの全盛期もあって、知り合いも増えて、気になる分野も増えていく。


なんとなく、運がよくなった気がする。
なんとなく、物事が思い通りに進むようになった気がする。
なんとなく、直感が冴えているような気がする。


吉貯金が進むにつれて、そして自分の興味関心に素直に従うにつれて、小学生の頃に教会で静かな時間を過ごしていた感覚に近いものを感じるようになった。


空気を読む。
その先を読む。

あの頃、実は目には見えない「空気」というものを自分なりに捉えていたのだ。

当時は自覚していなかったけれど、改めて、自分が感じたことにもっともっと素直になっていいんだと感じるようになった。

「目には見えないけれど、そこにあるもの」をもっと大切にしたい。
その想いから、九星気学を中心に、暦を本格的に学び始めた。
同じタイミングで、もう一つの転機が訪れる。

夫が、会社を辞めたいというのだ。
消極的な理由ではない。
夢だったテイクアウト専門の串揚げ屋を始めたい。

もちろん、夫のイメージの中には一緒に店頭に立っている自分の姿がある。
実はすでに物件も探しはじめているという。

一緒にお店をするならば、自分の意見はしっかりと言えるようになりたい。
だから、自分が自分に自信を持ちたい。

そう思った。

結局、資金の問題もあり、すぐに仕事を辞めるのではなく、数年後に開業しようという結論に落ち着いたが、気学のことをより学ぶきっかけになった。


そんなわけで、一度、気学のプロに依頼して店舗開業の吉日を見てもらった。もちろん、自分でもカレンダーとにらめっこして吉日を出した上でだ。

すると、自分の出した日と同じような日にちを勧められた。


どうやら、自分が身に着けてきた吉日を読む力は間違っていないらしいと、自信がついた。

さらにその確信を深めたくて同じくルーツを東洋に持つ四柱推命も学ぶことにした。

するともっと詳細に運気の流れが読めてくる。

エネルギーについても学んだ。
ある施術でエネルギーを触ることができるようになるという。

その上で、不要なものを身体から抜いたり、逆に入れたりできるようになるエナジースキャンという技術だ。

実際に講座を受けてみると、本当に触れた。

おもしろい。

今までは、見えないけれどきっと存在していると思っていたものが、触れることで自分の中や自分の周りを取り巻いているエネルギーが本当にあるんだと確信できた。


試しに、家に付いていたエネルギーを入れ替えてみると、仕事から帰ってきた夫のイライラが収まる時間が短くなった。

以前よりもリラックスできているらしい。



また、実は敏感体質だったのか、神社に行くと結構な確率で頭痛やめまいに襲われていたのだが、自分のエネルギーを循環させて滞りを失くすと、それも格段に減った。

毎日の日課にしているからか、だんだん心配事もなくなってきて、日々が穏やかになってきた。

だからこそ、エネルギーの循環は連続して毎日続けるのがいいと思って、試しにお友達に2週間続けさせてもらったら、やはりとてもスムーズに日常が過ごせたと喜ばれた。


エネルギースキャンが日々を整えるサポートだとするならば、九星気学と四柱推命を使って開運日を見るのは、いわば行動するためのサポートだ。

いい日もあれば悪い日もある。

その流れが先に見えていると、計画を立てるのも楽しくなる。

運気のエネルギーは、常に自分の周りをいわば列車の線路のように流れている。

自分がいる駅と、次の駅を結ぶエネルギーの線路を、特急や急行の列車や、超特急の新幹線が走っている。それが自分の駅で乗車できるタイミングがある。

どの列車に乗るかで、どれぐらい進めるか、つまりどれぐらいの速さで開運するかが分かる。

その日を割り出すのが、開運日鑑定である。



いわば時刻表だ。
開運列車に乗るための時刻表。

もちろん、その時刻表を使わなくても、たまたまいいタイミングで列車に乗る人もいる。

自分のタイミングで行きたい!というタイプは、わざわざ開運日を調べなくてもいい。

でも、タイミングに迷うなら、時刻表で調べて、旅の計画をしてから進んでもいい。

必ずしも、勢いだけで進んでいくのがその人にとってのベストわけではない。


行動するのは結局本人次第である。

だから、周りがどれだけアドバイスをして、背中を押したとしても、自分が最後に動くかどうか。

開運日だって、今動けないならば「今は動きたくないんだな」「それよりも大事ななにかがあるんだな」と自分を振り返る要素にするだけでいい。

それに、東洋の開運日というのはゆるやかにできているから3日に一度は何かしらの良い日が巡ってくる。



世の女性は忙しい。

自分のことだけでも忙しいのに、夫や子ども、家族の予定もある。
ついつい、自分のことを後回しにしてしまう。


もちろんそれが楽しければいいのだ。
かつて自分がそうだったように、「若い昭和のお母さん」をやりたいと望んでいるならば後から「あのときこうしたかった」と愚痴になることもない。


でも、本当は我慢する必要なんかない。

毎日をすべて自分の為に使うのがまだむずかしいならば、この日だけは自分の為に使おうという日を決めておくといい。

この日は開運日であなたにとっての吉日だからと言われると、自分のための行動もなんだか楽しい予定を入れたくなってくる。

不思議なことだけれど、自分で決めたことを実際に行動してみると、なぜか満足感が高い。

その上、実際に動いた先に、流れに乗ってさらに次の出会いやチャンスがやってきたりする。

だから、「この日って決めてしまおうよ」と応援するのが、開運日鑑定の良いところだ。



人はそれぞれ宝の地図を持っている。

開運日を知る―つまり人生の流れを知るということは、安心して人生を冒険するためのいわば旅行ガイドブックを手に入れるようなものなのだ。

動かないのはつまらない。
日々が単調に過ぎて、心が沈んでいくぐらいならば、小さな冒険をすればいい。

知らないことを知ったり、おもしろいものを見つけたり、素晴らしい景色に感動したり。

冒険だって安全にできるならそれに越したことはない。

安全のためのガイドブックを渡してくれたり、さらにはもっと身軽にチャレンジできるように、エネルギーを整えてくれる。

宝の地図をガイドブックに落とし込む。
それが、加藤純子さんが行っていることなのだ。



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